間々田八幡宮での稽古

2016-03-26居合 316稽古場の公民館・しらさぎ館の近くに間々田八幡宮という神社がある、大変由緒ある神社だそうです、神社のホームページにはこう書かれています。

「間々田八幡宮の創建は大変古く、今から約1300年ほど前の奈良時代中期(天平年間)と伝えられています。

939年頃に起きた平将門の乱に際しては、百足退治の伝説でも知られる武将・藤原秀郷が、当八幡宮ほか沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、見事乱を平定。このご神徳へのご恩返しとして、神社にご神田を奉納されました。 以降、当八幡宮が鎮座する一帯は、飯田(まんまだ)の里と呼ばれるようになります。

鎌倉幕府成立直前の1189年。奥州藤原氏との合戦に臨んだ源頼朝は、先の藤原秀郷の戦勝祈願を知り、自らも当八幡宮に参拝。境内に松を植えました。 この松は、1905年(明治38年)に枯死するまで『頼朝手植えの松』として、氏子等により大切に守られていたそうです。

さらに江戸時代に入り、日光街道が幕府の手により整備されると、この地がちょうど日光と江戸の中間点となることから、地名が飯田(まんまだ)から間々田(ままだ)へと改められました。 以降、松尾芭蕉も宿泊するなど、日光街道11番目の宿場町として、間々田宿は大変栄えることとなります。

また、この時代には朝廷が日光東照宮に毎年例幣使を遣わしていましたが、当八幡宮が大変由緒あることを聞き、道中必ず参拝することが習わしとなっていたそうです。

神社は1712年に神階正一位を授位。

しかし、1800年初頭の享和年間に惜しむらくも社殿焼失。郷人たちは、社殿の燃え残った灰を集めてご神霊とし、仮殿を建てて安置しました。

念願の社殿再建が成ったのは、その約50年後の1851年。 この再建工事に関係した職人は、折しも東照宮大修理にあたって各地から集められた宮大工達で、本殿内外の彫刻に、今もその優秀な技術をしのぶことができます。」

jagamaikaまた、この神社で行われる行事には、関東有数の奇祭として、我が国の農耕祭事・除災儀礼を考える上できわめて貴重であるということから、平成23年国の選択無形民俗文化財に指定された『間々田のジャガマイタ』があります、通称『蛇まつり(じゃまつり)』毎年5月5日に五穀豊穣や疫病退散を祈願するお祭りです。

5月5日といえば子どもの節句このじゃまつりは子供たちが主役です、長さ15mを越える竜頭蛇体の巨大な蛇(ジャ)を担ぎ『ジャーガマイタ、ジャガマイタ』のかけ声とともに町中を練り歩きます。

間々田八幡宮のホームページ

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大変光栄なことに坂東無外会はこの由緒ある間々田八幡宮でこの秋に小山市の安泰を願い奉納演武を行わせていただく予定です、そのために今回神社の雰囲気や足場などを確かめるために稽古をしました。

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まずは肩慣らし、基本の2、抜き打ちで逆袈裟きりから切っ先を敵に向け押し込むように威圧しつつ上段に構え大きく踏み込み敵を制す。
普段稽古は体育館で行っている足場は床なので自分の歩幅で間合いを調整し剣をふるうことができますが、神社では足場が土あるいは石が敷かれているため思うように足運びができず踏み込もうとすると躓きそうになり体の中心がぶれてしまい形としての動作が小さくなってしまう。

現代 実践はありえないが大変参考になった。

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精神統一

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敵を真向斬り

 

2016年8月4日 | カテゴリー : 奉納演武 | 投稿者 : bandou-mugaikai.blog